Baker Street Bakery > パン焼き日誌

ある翻訳家・翻訳研究者のサービス残業的な場末のブログ。更新放置気味。実際にパンは焼いてません、あしからず。

国立国会図書館調査立法考査局『著作権法改正の諸問題――著作権法案を中心として――』

先日、このようなものを手に入れました。どうやら旧著作権法から現行著作権法へ改正されたとき(1970年)の資料のようで、ぺらぺらとめくりながら読んでいると、現時点でも気になる記述がいくつか見あたります。

ありていに言ってしまえば、この本のなかで、今の著作権保護期間問題におけるような著作者(著作権者)と利用者の対立と調整という議論は、すでに「第四章 著作権法全面改正の基本的課題 一 著作物をめぐる関係者の利害を調整するための基本的態度に関する問題」という項で触れられています。
育成高揚という観点からの著作権者の利益保護と、文化の活性化という観点からの利用者利益の保護、というのは私たちの聞き慣れた議論ですが、この本で注目すべきなのは、著作者の利益保護のためにdistributerである出版社・業者の利益保護が必要であることを認めながらも、distributerをまた「利用者」とおき、その中間利用者に対する原著作者の弱い立場を鑑みて、その上で中間利用者に対する著作権者の利益保護および拡大を必要としている点です。

著作権法の立法の目的は精神文化の高揚、創作そのものの保護である。これを大衆に伝達し、又これを企業・営利の目的に供すること、もとより防げなく、又、これを防ぎ得ず、場合によっては奨励しなければならぬが、そのまえに先ず文化的創作を保護し、高揚せしめることが肝心である。いい文化的創造を先ず育成し、それから其の伝達を保護、育成すべきである。」
 著作権法改正の基調があくまでも著作者の利益の保護ということにおかれなければならないことは、著作権法の立法目的に関する勝本博士の右の叙述からも明らかである。著作物を利用する業者や事業の収益はその著作物を作った著作者自身の創作的努力に依存するところが大きいのであるから著作者の利益の保護が業者や事業の利益の保護に優先すべきことは当然である。(p.38)

ただし、ここで言われる「業者」の前提とされていることは、現時点と当時ではかなり異なっていることにも注意しておかなければなりません。

著作者は、極めて例外的な場合を除いて、その著作物を自分自身の手で社会一般の人々に伝達する手段と資力をもたないのが通例である。そこで、著作物の伝達を業とする者の手を経て、著作物の個人的利用者は、はじめて著作者の作った著作物に接することができる。(p.36)
著作物は各種の業者を経ることによって商品として経済的に流通することになるが、著作物の経済的取引に関係する業者や事業は、その立場上当然著作物をできるだけ安くまたなるべく自由に使用できることを希望する。(p.37)

この記述を、たとえば著作者のふりをしようとしているとある中間利用者に当て嵌めようとしてみても、どうにもうまく一致しないことがわかります。前者については、今やインターネットなるものが存在しており、伝搬に関しての障害は取り除かれているにも等しく、後者についてはまるで逆の「できるだけ高くまたなるべく自分たちだけに」というあり方を推進しているように見えます。もちろん本物の著作者であれば、そこは「できるだけ高くまたなるべく広く」であるはずなのですが、その差違にこそ、とある中間利用者の既得権益者性が現れているといってもいいでしょう。

ただし私は既得権益を守ることを非難するつもりはありません。それは自らの利益を守るという意味では、業者としては当然のことかと思われます。ただそれならば「私は中間利用者で既得権益者だから利益が削られるのは困る」と正々堂々真っ正面から言えばいいだけの話で、そこで著作者のふりをする必要はどこにもないのです。

そして同じ中間利用者(distributer)でも、とある既得権益者と新規事業参入者(あるいは真面目な継続事業者)では、立場がかなり変わってきます。私個人としては、後者の方々とお付き合いすることが多いこともありますが、このふたつはどう考えても別物です。どちらかというと、利用者というよりもあいだをつなぐ、ある種のエージェントに近いものではないかと思えることがあります。

インターネット社会で、新たにdistributerを"agent"として再定義するならば、現況このように言えるでしょうか。

  • 届けるべき利用者へ最適な経路と形式で頒布する者
  • 編集的業務によって、創作物の完成度を高める者
  • 著作者への収益やリスペクトを代行回収する者

そこで考えてみると、ニコニコ動画はひとつのモデルになりうるものであると思われます。このサイトをひとつのエージェントとしてとらえると、さきほどの定義ではつぎのように考えられます。

  • 創作物の公開発表場所としての動画サイト運営
  • ツールのありか、コミュニケーションの場としてのサイト運営
  • 着うた配信や応援コメント等の回収代行者としてのサイト運営

そしてまた、この本にある次の文章も読み替えなければなりません。

これらの関係者の利害の調整を図るため著作権改正をいかなる立場に立って行うかという点が明確になっていかなればならない。この点がはっきりしていないと、勝本正晃博士も指摘しているように、「著作者、著作物を利用する企業者、著作物を精神的に吸収する一般民衆との間の利害の調停を、単なる妥協に終らしめる。」ことになるからである。(p.37-38)

もちろん単なる妥協に終わらしめることはよくありませんが、それと同時に現状がこれほど単純な構図になっていないことは明らかでしょう。誰もが創作者であり、それと同時に創作享受者であり、その創作も別の創作に立脚するものであったりします。

  1. 創作者
  2. 創作物エージェント
  3. 創作享受者

三者に読み替えてみても、つねに1と3は交換可能であり、2はつねにその二者のサイクルを適切につなぐ役割を果たさなければなりません。

「利用」と「保護」という対立軸では、創作者が保護の対象とされ、創作享受者が利用者と目され、そのあいだに入るものは自らの利益を優先させるために、あるときは保護の対象であるかのごとくふるまい、あるときは利用者として著作者を最大限に搾取しようとすることが可能となります。

しかしそれを「共有」と「保障」という観点から見るなら(参照)、創作物エージェントは創作物の「共有」を可能にする媒介者として大きな役割をになうことになり、つねに交換可能な創作者かつ創作享受者がどちらも(というより同一者として)「保障」の対象とされることになります。そして何よりも最大の利益をこうむらなければならないのは、創作者×創作享受者であることは、最初の引用からしても当然のことでしょう。

そのことをそれぞれがじゅうぶん理解した上で、創作者かつ創作享受者からは保障のための意見を、さらに創作物エージェントからは「共有を可能にする媒介者」としての自覚を持った発言を聞きたいと、私は願うのです。