Baker Street Bakery > パン焼き日誌

ある翻訳家・翻訳研究者のサービス残業的な場末のブログ。更新放置気味。実際にパンは焼いてません、あしからず。

アニメのこと

もしかすると、1ナノくらいの需要はあるかもしれないのでコメントしますと、『PLANETS vol.05』の山本寛さんと更科修一郎さんの対談は出てすぐくらいに読みました。個人的には知っている内容がほとんどだったのですが、全体に関しては、ぬるいというか、お互いの位置確認で終わってしまったのが少し残念でした。この確認のあとのお話というのが個人的には聞きたくて、なおかつ記事的な意味や価値のあるものだと思うのですが……。

黒瀬さんの解説については、内容はわかるが意図がわからない、という印象を抱きました。想像していた「「アニメにおける古典」への回帰」ではなかったので、肩すかし感が否めません。私だったら、やっぱりのこのインタビューがあるなら、刺激入りの「アニメのでたらめ本質」論を書くと思います(映画と比較して、アニメが「でたらめ」というのは非常によくわかる議論なので)。そのあたりはスタンスの違いだから、どうしようもないと思うのではありますが。ちなみにアニメに批評が要るかどうかの話ですが、私は「アニメの新しい需要を生むための批評」は必要だと思います。アニメファン以外にアニメを売っていこうとするような、そんな文章が。(DVDの売上を伸ばすには、そうしないと頭打ちでしょう、もう。)

季報「唯物論研究」もあれこれ問題がありましたが、個人的な動機としては、あの本を読む50歳とか60歳とか70歳のおじいちゃんおばあちゃんが最近のアニメ見たりDVD買ったりしてくれると面白いから、そうなるような特集作りを基本にしていて、その意味(アニメと老人をつなぐこと)では結構成功していたりします。なおかつ今のアニメファンから見ると毒を感じられるように、と小細工も入っているわけですが。そのような感じで、たとえば、「ANAN」を読むような人にアニメを売ったりだとか、「LEON」層にアニメを薦めたりだとか、あるいは「せりふの時代」を読むような人から需要を生んだりとか、色々やりようがあるんではないかと思います。広い意味での「一般人」へアニメを届けるっていうことですね。そのために、既存のアニメ雑誌やアニメ評論をはみ出すような刺激的な文章があってもいい、というのが山本さんのご意見だと理解しています。

要は何が言いたいのかといいますと、山本さんがインタビューの最後で言った「おとなしく優等生的な論文」を「地味に提出」してどうするんだ黒瀬さん! ということなんです(激励的意味で)。せっかく山本さんのインタビューなんだから、主観的な毒で飾りましょうよ。