Baker Street Bakery > パン焼き日誌

ある翻訳家・翻訳研究者のサービス残業的な場末のブログ。更新放置気味。実際にパンは焼いてません、あしからず。

例の鹿について

二次創作キャラクター化された地デジカは、美少女や萌え系のイラストになっているものが多く、なかには卑猥なイラストも存在している。このことに対して日本民間放送連盟は「許されるものではない。断固、厳しく対応する」と当編集部の取材にコメントした。

“地デジカ” の無断美少女イラストに「断固として許さない」と民放連 | ガジェット通信 GetNews

この発言がパロディ運動の火に油を注いだことになるわけですが、パロディの歴史的意味を考えても当然のようにも思えます(英文学的に)。

まずはそのコメントがどこまで正確に書き起こしたものかはわからないことを差し引きしなければなりませんが、著作権法としては「許されるものではない」ではなく「(我々は)許さない」が正しいわけですよね。本来は著作者としての人格なり意志なりを行使するという立場のはずなのに、あたかも「道理として許されない」かのごとく言葉をすり替えて発言してしまう、そこに人はある種の「権力」を見いだしてしまうわけで。

「例の鹿」が遊ばれているのは、そもそも「政府・TV業界によるトップダウン方式の移行」や「B-CASにまつわる個人情報問題」に対する反感、あるいは「例の事件」への関心が引き金になっている感があって、そうすると単なる二次創作というよりもそこに「笑い」を挟んだ「パロディ」に近くなります。

一段高いところにあるものの形式を模倣し、なおかつそれを本来の位置からずらし、笑いに転ずることで、対象に対する批判や諷刺を行うわけですので。

そうするとこういう「権力」を匂わすコメントは格好の対象ですよね。自ら対象になりに行っているとしか思えないほどに。高いところにいるからこそ笑ってるのに、その高いところにいることを誇示してどうする、と言いますか。

それに対するパロディの「これはスク水だから例の鹿じゃないもん!」「美少女じゃないから描いてもいいよね!」「これは地デジ力(ちから)です!」「アナログマ、クマー」というずらし方はかなり王道で面白いです。(揚げ足取りというのは、議論で相手を負かそうとしてするもんじゃなくて、こうして笑いを生むために戯れにやるものですよね。)

というわけで火の上がり方を目の当たりにしたためか、他メディアからの再度の取材では言葉も穏当になっているようです。

こうした事態に、民放連は「卑猥な表現をしているものも見受けられる。節度ある描き方をしてほしい」と、かわいい地デジカが陵辱され放題の現状を憂慮している。

http://www.zakzak.co.jp/gei/200904/g2009043026_all.html

個人的には大学で電波関連の勉強もしたので、地デジにしなきゃいけない理由も意義もわかっていますし、移行することは賛成なのですがやり方がどうも……とは思っています。とはいえ最近あまりTVを見る必要性を感じないので(見てもニュースかアニメの二択で、ニュースはネットで記事や動画を見ることも多いし、アニメはGyaoとかBIGLOBEストリームで見ることが多いし)、アナログが停波されたらそのまま買い換えずに見なくなると思いますし、見ても携帯のワンセグでちょろっと見るくらいでしょう。