Baker Street Bakery > パン焼き日誌

ある翻訳家・翻訳研究者のサービス残業的な場末のブログ。更新放置気味。実際にパンは焼いてません、あしからず。

『翻訳学入門』と固有名詞のカタカナ表記について

さすがに研究者らしいことも書いた方がいいんじゃないの? というアドバイスをある方よりいただきましたので、今日はそんな内容です。

翻訳学入門

翻訳学入門

ようやく出たというか、ここ最近の翻訳研究では割と定番の学部生用テキストの翻訳です。訳者の皆様お疲れ様でした。情けないかな何よりも出たことが幸いで、これで日本の翻訳研究も少し前進しました。
さて、肝心の中身の方ですがこれを読むと、20世紀中盤から始まった翻訳研究が走り始めから迷走して、そのあとしばらく迂回路を通って、ようやく21世紀に入る入らないあたりからちょっと面白い研究がぽつぽつ出始めたかな……というのがよくわかる仕組みになっております。褒めてるのか貶してるのかわからない言い方になりますが、日本人からすると、そういう気にならざるを得ないでしょう。翻訳研究の黎明期は、高山宏が言うように実務的にも知的にも「つまらん」ものだったと私も思います。

近ごろの「翻訳者の主体性」を見つめる動きには「遅すぎる!」と思うくらいなのですが、それは置いといて、この本、やっぱり入門テキストなので一長一短があります。内容的にも記述的にも。真面目に勉強したい人は、この本の偏りを修正する意味でも、

The Turns of Translation Studies: New Paradigms or Shifting Viewpoints? (Benjamins Translation Library)

The Turns of Translation Studies: New Paradigms or Shifting Viewpoints? (Benjamins Translation Library)

を併読した方がいいでしょう。こちらはマンデイのものに比べて図も少ないですが、研究分野としての歴史を見る上では、わかりよいかなと思います。

あと、専門家(イギリス翻訳論史)として一言付け加えると『翻訳学入門』の第二章はあまり当てにしない方がいいです。昔から思うのですが、翻訳研究は歴史的文献をどうも書誌的に雑に扱ったり、非歴史的な誤読をさらっとしてしまったりすることが多いので、アンソニー・ピムじゃないけど、もうちょっと真面目にやってくれよ! と思うことがしばしば。

信頼に足る記述を読むとしたら、T・R・スタイナーの『English Translation Theory, 1650-1800』かオックスフォード大学から出た『The Oxford History of Literary Translation in English, 1660-1790』を始めとするシリーズをおすすめします。このOxford HistoryじゃないOxford Guideの方は少し微妙。

原典の情報から戻って、翻訳の文章なんですが、ほどほどに読みやすいと思います。でもというか、やはりというか、第二章は研究レベルでの凡ミスが多いです。これは個人の責任というよりは、日本の翻訳研究のレベルを全体でもっと上げていかなきゃいけないってことなのですが、たとえばイギリスのTytlerを扱ったところは原著・訳文ともにめためたです(p41-43)。たぶんマンデイの記述にミスリードされてしまった訳文なのでしょうが、"ease of original composition"は決して「原典のもつ文章の読みやすさ」などではありません。18世紀イギリス固有の批評的文脈では、別の意味があります。仮に訳すとしたら「創作の雰囲気」でしょうか。当時の"originality"と"creation"の議論を踏まえたかなり歴史性のある記述です。それぞれがその時代では"original"(創)"composition"(作)という意味があって、今でいう"creation"(創作)になります。(Oxford Historyを読んだのなら、マンデイさんちゃんと書き直そうよ、そのあたり。)

それに、そもそもTytlerは「ティトラー」じゃなくて「タイトラー」。これは海外の研究者でもよく間違ってしゃべってるのですが、スコットランドの発音をカタカナに転写するなら「タイトラー」。信頼できるソースをあたるならKingscott, "The Quest for Alexander Fraser Tytler" Language International 3.2 (1991)で、手近でよければリーダーズプラスや固有名詞英語発音辞典にもちゃんとその発音で載ってます。監訳者あとがきの方針を通すのなら、「タイトラー」が正しい。もし近くの英語ネイティヴに聞いて「ティトラー」と言ったのだとしてもそれを信じてはいけません。

翻訳をするとき以外でもそうなのですが、危ないのが「外国のことは外国人の言ったことが正しい」という過信です。よくよく考えれば、日本の細かいことを普通の日本人に聞いてもわかりません。日本人だって読めない漢字があります。それは外国人のときでもそうで、不適切な人に不適切な質問をしても間違った答えしか返ってこないのです。外国のことでも、普通の外国人より日本人の専門家の方がよく知ってます。裏を返せば、日本のことでも、普通の日本人より外国人の専門家の方がよく知ってます。研究では当たり前のことなので、「外国人が寿司を握るのを見ると、え! まずそう! と思う」人もおられるかとは存じますが、おそらくちゃんと修行をした外国人なら、普通の日本人よりも上手に寿司が握れるはずです。そして機械で握られてるような回転の寿司よりもきっと美味しい。冷静に考えれば。

でもまあ、固有名詞のカタカナ転写って面倒ですよね。ラヴクラフト翻訳でもいつも困ります。人名については、できるだけ原音に近いところでやってますが、彼固有の造語(クトゥルー神話や夢の国あたりのあれこれ)になると、ちょっと一翻訳者の独断ではどうしようもないところがあって。『エンサイクロペディア・クトゥルフ』に依るのもいいけど、若干ペダンティックになりそうで、というか朗読者の舌が悲鳴を上げそうで。なので、できるだけ一般的なのを取ることにして、かなり早い段階から東雅夫クトゥルー神話事典』準拠を決めております。これが朗読じゃなかったら、もしかすると別の案でやってたかもしれないけれど、翻訳は基本的に目的に左右されるものですので。

閑話休題。タイトラーの主著『翻訳原論』については、抄訳と解説の草稿ができているので、日本の翻訳研究のためにも、何らかの形で公表しようと思っています。でも、ちゃんと清書をして、出してくれる出版社も探さなきゃいけないので、もうちょっと時間がかかるとは思うのですが。他のイギリス翻訳論についても同様で、翻訳についてこつこつ準備をしております。(アンソロジーが出せるといいな)

ドイツ翻訳論には三ツ木道夫さん、フランス翻訳論には辻由美さんがいらっしゃって、まとまった本や論文を出されておられますが、イギリスに関しては……もしかして私くらいなのか、やってる人は。いや、ほんと、頑張ります。

(あと翻訳研究の専門書の翻訳に関連してついでにぼやくと、法政大学出版会さん、どうかジョージ・スタイナー『バベル以後』の下巻を出してください! 【追記】……とか言ってたらちょうど日記書いた日くらいに出た模様。10年越しです!)