Baker Street Bakery > パン焼き日誌

ある翻訳家・翻訳研究者のサービス残業的な場末のブログ。更新放置気味。実際にパンは焼いてません、あしからず。

アニメを随筆してみること 3

随筆というのは、かなり個人的な営みではあるのですが、その随筆の裏にある筆者というのが必ずしも本当の自分である必要はないんじゃないか、と思ったりもします。
特に翻訳家は「誰かになりきって書く」ということが多くて、というかそれができないと翻訳家になるのは難しいのですが(著者と翻訳者の性格が一致するという偶然があるとまた違いますが)、同じように仮想の誰かを立てて翻訳じゃない文章を書くことも可能であるわけです。そもそも一人称小説がそういうものですし、じゃあそういう若干作りものっぽい随筆もありえるかもしれません。

仮想キャラによるブログというのは、VNIのあるこのネット上ではさほどめずらしくなく、するとキャラになりきって評論することも可能で、アニメだと各担当に分けた感じで、演出のことしか語らない「エンデちゃん」とか、絵コンテのことしか語らない「エーコちゃん」とかがありえるでしょう。そんでもってパロディしつつ批評すれば、意外に面白いものができあがるかもしれません(妄想)。

それはかなり自分を抹消したキャラですが、自分を若干残しつつ一般的なことを語るためにもっとキャラ化させる、という方向もありえそうで、たとえば自分や友人たちを総合してある種の擬人格を立ててしまうことも可能です。こういうのは、世代的なこととかを書くときに使えそうで、それでいて自分の持っている偏り、随筆に少なからず出てしまう個人のズレというものを少し修正することもできるかもしれません。

さて、少し流れからは外れますが、K・ワークスさんのTwitterでいい警句があったので、思わず引用を。

あのな、小僧、小説なんかの事情は知らないが、500〜1000人単位でワンクールのアニメを制作するとき、そこに「批評家」がひとりもいないと思うのか。それだけの数の人間の中に、小僧のように批評的な資質に恵まれた人間がひとりもいないと思うのか?アニメや建築はロボットの束で作れないんだよ

https://twitter.com/ZEROWORKS/status/3442206527

あのな小僧、お前が考えていたことはほぼすべて、今お前が受容している作品の制作者は考えてきた問題なんだ。もしお前しか考えてない問題があり、それを作品にして解決できるなら。お前はもうプロとして活躍してるよ。そういう風にはいかんのだよ。顔の見える他者の現実を知れ。しかる後に批評せよ。

https://twitter.com/ZEROWORKS/status/3442259614

研究でも似たようなことがあるのですが、何かを誰かに対して語る上で、「未知なる人」が「無知なる人」にすり替わる危険性はどれだけ気を付けても気を付けすぎることはないと思います。自分ひとりがある事実に気が付いていると思っていても、たいてい向こうも知っていたり、もっと詳しかったり、あるいは想定済みで事に当たっていたりします。

だからこそ、自分の場合、批評的なことをするときは「自分がモノを創るためのメモ」であること、あるいは「問われたことへついての返答」であることをできるだけ崩さないようにしていますし、批評的に考えることが「先人の技を真似して会得し、自分向けに作り替える」ことであり、あるいは「物事を自分なりに咀嚼して理解する」ことであることを自覚した上でやろうと思っています。自戒。

そんな感じで今回はこの3回目で終了です。はっきり言ってしまうと、あまり面白いものが書けなかったので(アニメの本質に迫れていない文章ばっかりだったので)、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。3回にわたって読んでいただいた方に心から感謝申し上げます。

次またやるときは、おそらく「アニメをアニメを見ない人にレビューしてみること」みたいなものになるんではないかと思います。個人的には「目に見える他人」にどう語るかということでもあるのですが、詳しくはそのときに。

(了)