Baker Street Bakery > パン焼き日誌

ある翻訳家・翻訳研究者のサービス残業的な場末のブログ。更新放置気味。実際にパンは焼いてません、あしからず。

アニメを眠りから呼び覚ます者たち(『紅 kure-nai』)

 説明しよう。これは、22歳と15歳の女の子が、コワモテの王様に「ぶっとばしにいくぞ」と誘われて、3の倍数という悪魔を大勢の仲間たちとともに倒しに行く作品である。

 長らくTVアニメ大陸には3の倍数がはびこっていた。悪魔たちはそこに住む人々の声に呪いをかけ、3の倍数でしか言葉をしゃべれないようにしていた。しかし住人たちはやがてその呪いにも慣れ、そしてそれをやり過ごす技術を身につけることによって、その範疇で生活も普通にできていたのだが、あるとき王様が他の大陸に出かけ、呪いを受けていない人間の言葉を聞いたときに衝撃を受ける。

「言葉はこんなにも自由になれるもんなのか。くそっ。ちょっと悪魔ぶっとばしてこねえと。」
 そして最初のうちは人を派遣して戦わせていた王様もだんだん居ても立ってもいられなくなり、自ら人を率いて悪魔のところへ乗り込むことに。そこからがこの『紅 kure-nai』の始まりであり、その討伐隊の主力として先頭に立ったのがそのふたりの女の子である。

 年上の女の子の方は普段は落ち着いていて年齢の割りに大人っぽいが、度胸もあるし努力も欠かさず、そして負けん気もめっぽう強く、間違ったことだと思ったら王様でも平気で楯突く勇者気質。

 年下の女の子の方はまだ呪いに染まりきっておらず、純粋な言葉の魔力でもって破邪の力を発揮することができる巫女のような子。

 なおかつそのふたりをサポートするのも、かなりのくせ者だったり密かな実力者だったり不思議人だったりと一筋縄ではいかないものどもばかり。そんな一団が喧嘩もしつつチームワークを築き、呪いに染まりきった大陸で3の倍数に立ち向かっていく。

 その甲斐あってか第一回目の戦闘では悪魔たちを見事に撃破、あたりに涙のごとき祝福の雨を降らせる。そして一団は連戦連勝を続け、ついに第七戦では、それぞれが戦場で舞い踊るかのように3の倍数たちを次々となぎ倒していく。その美しさはまるで神のごとく、それこそ歴史に残るほどの戦いで……

 ……って、おいおい何だよこれ。『紅 kure-nai』ってこんな話だったっけ? ってもちろん違って。ここまで書いたのは、実はアニメの、声の演技の話(のたとえ)。

 正直この作品にストーリーとして新しさがあるわけではないし、それを書いたところでおそらく『紅 kure-nai』のよさはひとつも伝わらない。私自身も始まる前の紹介文やPRを見ても何も感じなかった。面白そうだとも思わなかったし、期待もしていなかった。第一回を見たのは、「始まるアニメは全部一話は見る」という個人的な義務感からだし、流し見さえしようと考えていたくらいだ。

 だが、気がついたらあっという間に30分が終わっていた。目の前のものに引き込まれ、深い感動に包まれ、そして涙すら流していた。何度でも言うが、今考えても「ストーリーが優れていた」などとは思わない。感動したあとですら陳腐であるとさえ思った。それなのになぜ私の心はこんなにも揺さぶられるのか?

 それは、そこに「本物の演技」があったからだ。

 3コマの倍数というくびきから解き放たれた声の演技と、それによって活性化したアニメの演技が、「自由」な形でそこに存在していたからだ。あらかじめ決められたレールの上を声が走るのではなく、話の流れに沿って声とアニメがその場で自在に変じていく。時間とともにそこにいるキャラクタたちが魂を得て、本義通りにアニメイトしていく。

 普通、TVアニメではまず絵コンテという映像の設計図が書かれ、そこで映像の時間があらかじめほとんど決められる。描かれる絵も、添えられる声も、そこから導かれるタイムシートという時間の地図をはみ出ることはまずない。そこには3の倍数という慣習化したお決まりのリズムと、お決まりの動きがあるだけだ。

 それをあえて外す。まず声でもって演技の時間を作り上げて、そこから絵を動かす。プレスコという手法。

 海外ではよくあるやり方だ。だがしかしそれだけで「普通」に戻ったなどと考えてはいけない。念頭に置かなければならないのは、海の向こうでは役者が別々に録音することも多いということだ。

紅 kure-nai』は、その場にいる監督と役者全員で演技の時間を作り上げる。それこそお互いを衝突させつつ、複数の声の織り成す「動き」の響きを、ポリフォニーを構築していく。そしてそこに声に霊感を受けた優れた「動画」が描かれることで、全体が調和しその響きを倍奏させる。結果、時間の流れとともに画面にたち現れるのは、ほかならぬ「アニメ」そのものだ。

 あなたが『紅 kure-nai』の物語に興味がなくても構わない。キャラに惹かれなくてもいい。好きな声優が出てる出てないを気にしなくてもいいし、なおかつあなたが萌えるか萌えないかどうかなんてどうでもいい。もしあなたが「アニメ」を信じるのなら、本当の言語的意味での「アニメーション」の現場を目撃したいのなら、まずは何も考えずに『紅 kure-nai』の第一話を見ることだ。

 そうすれば、あなたはある作品が「アニメ」に祝福された瞬間に立ち会える。

 もちろんその話の主人公は演技者である声優たちだ。沢城みゆき悠木碧新谷良子升望石毛佐和木村はるか真田アサミ黒田崇矢大久保藍子――そして忘れてはならないのは、音響監督としてこれらの役者を引っ張った監督の松尾衡。眠りし「アニメ」を呼び覚ました勇者たちの名を、ここに書き記す。

紅 kure-nai』(二〇〇八)
監督・音響監督・絵コンテ:松尾衡
出演:沢城みゆき悠木碧新谷良子升望石毛佐和木村はるか真田アサミ黒田崇矢大久保藍子ほか

紅 1 [DVD]

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